風に乗って~マーキ


生きてるって…♪♪
by Maky63
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神秘の国ウズベキスタン その2

3日目 快晴 気温24/10

早朝、バザールとカラーンモスクをぶらぶらと歩いてみる。朝日に輝く煉瓦の遺跡は黄金色に輝きハッとする美しさだ。バザールの従業員か清掃の人達か足早に通り過ぎていく。挨拶しても微笑み返してくるだけ。カラーンモスクとミナレットを裏側から眺める。
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ホテルの前からの眺め
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今日の移動は500キロを超えるだろう。農業地帯と砂漠地帯を300キロ走ってシャフリサーブスへ。
現在は舗装されているが古代にはシルクロードのメインストリートだった道。舗装道路と言っても簡易舗装だ、幅広でまっすぐに伸びた道をバスはガタガタと震えながら猛烈なスピードでかっ飛ばして行く。、砂漠と言ってもこの辺り地下水が豊富らしく低い灌木が生えていたり全くの砂地ばかりではない。
天然ガスの豊富なブハラから中央アジア各国へ送られるガスのパイプが道路わきに延々と繋がっていたり、中央アジア各国へと通じる鉄道の線路も有っったり、刈り取った乾草の饅頭が沢山転がっていたり牛が放牧されていたりと周りの景色は様々で退屈することはない。

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畑の広がる辺りではラクダがのんびりと歩いていたり、防風と実益を兼ねて桑の木が沢山植えられている。
お店で売る術を持たない人々は収穫した農作物は道端に並べて売るしかない。真っ赤なトマト、ざくろ、メロン、スイカ 色んな農作物が整然と並べられて道端で売られていた。

毎日ミネラルウォーターをツアーから支給されるとはいえ長い移動でお腹もすく、初めてバスがトイレ休憩に止まった時、其処にあったのはまずまず綺麗な有料のトイレが1棟だけ。次に休憩するときはアイスクリームでも買いたいね~と思っていた甘い自分が恥ずかしくなるくらいこの国は素朴で面白い。

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次にバスが止まったのは長く続く道路の真ん中だ。ここでトイレ休憩だという。両脇は灌木の生えた砂漠、そうだ青空トイレをここで体験するのだ。男性と女性は道路の左右に分かれて用足しとなった。添乗員がビニール袋を持って用が済んだ後のティッシュは砂漠に捨てずに持ち帰ってこの中に入れてくださいと言う。砂漠を汚しちゃあいけないのだ。クスクスと笑いながら興味津々でみんなは灌木の茂みへと分け入る。まばらな灌木の足元には小型動物の巣穴なのか無数のテニスボール大の穴が開いている。じっくりと灌木を観察すると何と花が咲いていた。

今日は一般の民家での昼食タイムとなる。
国道脇の民家の入り口を入ると中庭が有り浴室兼トイレがあった。これがまた相当に汚い。
中庭には畳3畳くらいのアラブ式縁台が置かれている。室内はツアー客をもてなす位だからそれなりにきれいに飾り付けがしてあるも薄暗い。多少の汚れはこれで隠せるかも。

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メーンの食事は肉じゃが、日本と違うところはひき肉団子が入っていた。冷え切って歯も立たないようなサモサとスープ、お決まりのナンと生野菜の和え物それに丸ごと果物等々。
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狭い畑は個人の所有だが、見渡す限り続く綿花畑は国有だそうで綿花の収穫期には国政として1か月に渡る学生の就農労役が今でも続いているとか。

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出発から3時間半を要してティムールの生まれた町シャフリサブスに到着
ティムールが夏の宮殿として贅を尽くして建てたアク・サライ宮殿は抗争で壊され今はゲートの左右の門柱だけが寂しく空に向って建っていた。広い公園の中央に建つティムールの像は壊れた門柱を背にさみしそうに見える。

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今日は土曜日、公園のあちこちで結婚式が行われている。お金持ちはレストランなどで行うが一般の人たちはこうした公園で結婚式を挙げるのだそうだ。日本のカップルは同じ顔立ちをしているが、多民族国家らしくカップルの顔立ちが著しく異なるのが面白い。チロイリ~チュダ・チロイリ(綺麗よ~とっても綺麗よ~)を連発して写真を撮らせてもらう。
ウズベキスタン式のお辞儀をする花嫁

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ドルッティロヴァット建築群 此処の長い柱はすずかけの木で出来ているとか。
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中庭でさわさわと緑の葉を揺らせていたのはウズベキスタンで一番古いポプラの木。
煉瓦の崩壊が痛々しかったティムール息子が眠るジャハンギール廟
内部は見れなかったがブルーのドーム屋根が重なり、ひときわ目を引くコク・グンバス・モスク

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少々疲れ気味の体に長時間のバスは心地よい。
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道路を横断する牛の群れ、砂丘にポツンポツンと建つ砂のマッチ箱のような民家。時折現れる畑作地帯。
州都の入り口に立つ検問所は非常にのんびりとして警官は退屈そうだった。さすがにアフガニスタンへ通じる分かれ道に建つ検問所は警備が厳しく、停まれの指示を無視して発車した乗用車のサイドミラーを警官が群靴でけり壊す光景を目の当たりにした。

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やがて砂丘の上に建つサマルカンドのモニュメントが見えた。この辺り新しい国道が整備されたため、あちこちで建築ラッシュが起きている様子。砂漠の中の住宅分譲地のようになっている場所が幾つもあった。それに合わせてイスラム式集合墓地も整備されていた。




サマルカンドで最初に訪れたグル・アミール廟
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ティムールいと一族のお墓があるこの廟の内部は眩いばかりの金箔で装飾されティムール帝国の栄華を実感させる。
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この廟も良く手入れされた美しい公園に囲まれ、掃除している人たちの姿が有った。
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ここで大発見2人の子供が大きな布を2つに畳み中に何か入れて運んでいる様子、覗いてみると刈り取った芝生を運んでいた。なるほど、軽い布なら子供でも沢山のごみを運ぶ事が出来る。素晴らしい知恵だと思った

今夜のホテルはプレジデントパレスは年代を重ねた立派なすずかけの木を街路樹にした街の一角にあった。
1万円のグレードアップしたホテルだけあって外観も内装も立派なホテル。夕食も朝食もバイキング方式で料理の内容も豊富で美味しかった。

夕食後、オプションでレギスタン広場のライトアップショーに出かけた。物語に沿ってコの字型に建てられたメドレセがライトアップされるのだが日本語で語られる物語も、ライトアップも迫力に欠け、物足りなく3,000円也の料金が物凄く無駄に感じた。


4日目 晴れ 気温22/11
早朝の散歩は、すずかけ並木が気持ちよくティムールの像が建つ所からは昨日見たグル・アミール廟のドームが見渡せた。

早朝のレギスタン広場
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華麗な美しさと規模の大きさでウズベキスタン一の観光スポットは昨夜のライトアップの物足りなさを十分に挽回してくれた。
3つの神学校の巨大な門がコの字型に聳え立つさまに圧倒される。ゲートを入ると其処にも美しいブルーのタイルが広がっている。木が植えられた中庭を取り囲むように学生の部屋が並んでいるが一階の部屋はお土産屋になっていた。青いドームの中はここも金箔で飾られ息をのむ美しさだ。天井も眩いばかりだったが実は平面に遠近法を駆使して描かれた絵だと言う説明に改めて感動した。

さて、いよいよサマルカンド青の真骨頂シャーイジンダ廟
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ゲートを潜り少し歩くと目の前に石の階段がドーンと待っていた。この階段、幸せへの階段と言われていて登る時と降りる時同じ数だったら幸せになれるのだそう。国籍は違ってもみんな真剣に数を数えながら登っている。そりゃあそうだわ、数を間違えると縁起でも無いから迷信と思いながらも真剣に数えてしまった。
坂道に沿って細い路地の両側に並ぶ廟は20近く、廟の壁は見上げるように高く様々な青いタイルで装飾されている。サマルカンドブルーここに極めたりって感じ。自分的にここが一番感動した。

ウルグベグ天文台
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天文台への坂道で子供が乗ったロバの荷車に出会った。ハーイ!と声を掛けると手を挙げて答えてくれた。旅の途中ではこうした人懐っこさがすごく嬉しい。


サマルカンドからタシケントまで300キロ。緑豊かな川沿いの道、右手には岩山が続き岩の面に白く文字が書かれている。あんな所にどうやってと思える危険な場所にまでびっしりと、おそらく血気盛んな若者たちの楽しみだったのだろう。ソビエト時代の生活は貧しく、子供たちは砂の山にたくさんの洞窟を掘って遊んでいたとマリカに聞いた。大理石の産出量も多いそうで砂の山には白い大理石で文字が刻まれていた。
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クケルダシュ神学校
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ソビエト時代は倉庫になっていたという神学校は街中の小高い場所にありました。目の前は大きな交差点、通りに沿っていろいろなお店が並び、歩道帯では道路に布を広げて山から採ってきたクルミを売っているおばさんが居たり、若者は最新流行のファッションで歩いていたり、そのギャップが面白かった。

ナボイ オペラ劇場
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大きな木々に囲まれた広い公園、大きな噴水の向こうに優しい色合いのナボイ劇場が見えた。噴水の前で結婚式をしているのが見える。日本人が建設に参加し、日本の建築技術の高さを認識させた有名な建物だ。正面左手の壁に
は日本語でその事が刻まれている。 時間がなく中に入る事が出来ず残念だった。

日本人墓地
第2次世界大戦の後ソビエトの捕虜となり、この地に抑留され亡くなった人達のお墓が並んでいる。墓名碑には75名の出身県と名前が刻まれていた。何処かの戦地で死んだ父を持つ自分は無意識に有る筈の無い父の名を探していた。
桜の木に囲まれた墓地には長年にわたり管理をして呉れている男性の姿があった。墓地の砂に真新しい箒目が付けられていたのを見てその男性の暖かさを感じ感謝の念を持って握手して別れた。

4泊5日の駆け足旅行、思い返してみても何処で何を見たかも定かでない。とにかく忙しい、写真を撮っていると説明が聞けない、説明を聞いていると堪えず一行の最尾をダッシュして追いかけている添乗員泣かせの自分だった。願わくは夕焼けや朝もやのこの国の風を心で感じてみたい。
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by Maky63 | 2012-01-12 15:25 | 海外旅行

神秘の国ウズベキスタン その1

ウズベキスタン共和国と言う国

渡航前の下調べでウズベキスタン入国には入国カードの記入は必要ないと思っていた。
ところがであるタシケントに向けて韓国を出発してしばらくすると税関申告書の用紙が添乗員から配られる。日本ではもう余り見掛けなくなった更紙にウズベク語で印刷された用紙を穴が開くほどに睨み付け悪戦苦闘の末書き終えるまでに40分くらいを費やしたであろうかタシケントに着くころには深い安どのため息とともに頭の芯がずっしりと重く感じられた。

砂漠の中にあっても豊かな緑に囲まれたこの地はシルクロードの中継地として栄え、行き交うキャラバン隊に溢れるばかりの安らぎのひと時を提供し、通行税をとって栄えた国。そのため世界遺産に登録されている古代イスラム建築の殆どがキャラバンサライ関連とモスク、更に豪華絢爛の神学校、王墓となっている。
1991年のソビエト連邦崩壊で独立したが、それまでは豊か成るが故か数々の支配者に寄る帝国の設立と崩壊が続きその歴史は混沌としていてなかなか理解しがたい。もっとも、だからこそ歴史が生まれ興味ある建築物が数多く残されたのだろう。イスラム教スンニ派の国だそうだがブルカを着用した女性も居ないし、ラマダンはあってもお肉もお酒も大好き。話す言葉はウズベク語とロシア語。
最近になって都会的なお店も現れたが各地にバザールが整備されていて、市民の多くはバザールで買い物をする。

第2次世界大戦の後、シベリアに抑留された日本人捕虜の方たちの過酷な生活はよく知られているけれど、この地にも2万を超える日本人が抑留されたことは初めて知った。内陸に位置しながらもほぼ日本と同じ気候で、一般の家庭に居候して過ごした日本人も多かったと聞いた。様々な労働に従事したが中でもタシケントのナボイ劇場は50年くらい前の大地震で殆どの建物が崩壊した中に悠然と立っていた。こうした事から日本人に対して非常に好意的。観光地でも幾度となく<ヤポン(日本人)?>と声を掛けられた。

そして、この国は何処に行っても綺麗だった。観光地でもレストランでも道路でも箒を手に掃除する姿を目にした。更に、この国では物乞いにお目にかからなかった。観光地に付き物のしつこい物売りの姿も見かけなかった。
マリカは市場には時折ジプシーが現れて万引き被害が発生していると言っていたが実際に遭遇することもなかった。
世界遺産の街には荷馬車を引いてロバが通っていた。ロバのお尻には糞取りの袋は装着されていなかったにも拘らずロバの糞にお目に掛かることはなかった。街の人たちはすこぶる好意的で記念撮影にも気軽にOKを出してくれた。

だがしかし、この国の人達のトイレに対する感覚は理解できなかった。とにかく汚い。自分の評価では一流ホテルやレストランを★★★と考えると、空港トイレ、一般ホテルの客室★★、一般ホテル、人気の民族料理店トイレ★、民家食堂トイレは★って感じだった。何しろ一応水洗でも使った紙は傍の蓋のない缶に入れる。当然悪臭ぷんぷん、ハエはぶんぶん。このハエが食事場所にまで飛んでくる。清潔になれた日本人が下痢になるはずだと思った。

帰国した翌日から始まった下痢は保健所に連絡しようかと思うくらい長く続き10日経ってやっと止まった。

私の外国旅行での楽しみの一つは値段交渉だが意外とスムースにおまけして貰えた。旅行者ずれして居ないせいでも有ろうが多少期待外れの感あり。
現在、多くの歴史的建造物はレストランや土産物屋等々として利用されており、古代の壁に民芸品や生活雑貨が妙にマッチして面白かったし、売り子の節度ある対応にすごく好感が持てた。

非常に雨の少ないこの国ではむき出しの木の建築物が何百年も自然維持できている。日干し煉瓦の家も雨で崩れることもない。土の断崖が崩れる危険性も少ないのか砂の崖の上に建てられた家も有った。

この国の滞在期間わずか3日間。超駆け足旅行だったので興味のあるものをじっくりと見るなんて事はどだい無理。あれもこれも過ぎ去ってみればシマッタの連続である。行きの飛行機で出会った同年代の女性は1か月かけてこの国をじっくりと廻ると話していた。その時は1か月もの間何するの?って思ったが正直羨ましくてたまらない。来年、今度は春にもう一度ウズベキスタンへ今度は個人旅行で行ってみたいと本気で考える今日この頃だ。

タシケンと空港到着。
スーケースはまずまずの速さで出てきてほっとするも入国審査が遅々として進まない。ガイドの説明では時間の感覚は日本の常識をはるかに超えていると聞いたが、順番を待つ間、警察あるいは空港職員か制服姿の男性が行列を見ながら大声で怒鳴っている。怒っているようにも見えなかったがにこにこ笑える状況では無かった。たかだか3~40人くらいの入国に小1時間を費やしてやっとターミナルの外に出ることができた。

空港では写真撮影禁止とのことで残念ながら記録に残せないがスーツケースを待つ間ターンテーブルを流れてくる荷物を見て目が点になってしまった。荷物のほとんどが大幅のセロハンテープでぐるぐる巻きにされて有る。一般的なハードケースでなく布製のケース故中身の保護用か、はたまたそれほど迄に治安状態が悪いのか。思わずショルダーバッグを体の前に持ち、辺りを一瞥。

空港の外ではタクシーの客引きが盛んに声をかけてくる。
空港を出る時、この国での最初のごあいさつ。係りの男性の目をしっかりと見つめて笑顔で<アッサローム>彼もまた<アッサローム・レクイエム>と笑顔で返してくれた(*^_^*)。

今日の宿は<マリカタシケントホテル>かなり年代物のホテルだ、エキゾティックな真紅のベッドカバーや天井から下がるキリムがイスラムを感じさせる。
お風呂のシャワーの出が悪かったり、ドアの鍵を開けるのにちょっとしたコツを掴むまでは開けにくかったりと多少の難はあったが思ったより清潔でまあまあのホテルだった。

ホテルでは数少ない語彙のウズベク語使いまくり怪しげな英語と両方で何とか通じるみたいだ。英語は全く通じないと思い、今回は全く英語のおさらいをして来なかったのが悔やまれる。

今夜の夕食は自分達で食べなくてはならない。関空で一応巻き寿司を買ってはいたが、ウズベキスタン郷土料理でも食べてみようとツアー仲間のMさんとKさんを誘ってホテルの地下にあるバー兼レストランへ降りてみる。
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客は誰もいなくて女性が一人カウンターの中に座っていた。夜なのでほとんどの料理は出来なくて素麺入りのコンソメスープらしき物とナンと野菜サラダを注文。
スープはまあまあ、ナンは固いが噛むほどに味が出てくる感じ、問題はサラダ、トマトとほんのちょっぴりのレタスと山のように盛ってあるのは大嫌いなパクチーだった。

カウンターの女性と話したくて持参の巻き寿司を贈呈した所、箸を見たのは初めての様子で友達を呼んで来て代わる代わる寿司を摘まむ練習をして弾けている。
お腹は少し物足りなかったが心は十分満足して引き上げた。

2日目 快晴、気温21/9
早朝、タシケント国内空港からブハラに飛ぶ。
ここでちょっとしたハプニング発生。ターミナルから国内線飛行機までバスで行くのだが斜め前に座った若い女性の様子がおかしい。母親らしき女性が声をかけていたがバスが止まって小さな振動があった瞬間その女性が嘔吐したのだ。満員の車内で勢いよく飛び出した液体は周りの人たちの服を汚し、バスの床を汚した。ツアー仲間夫婦はもろにその被害をこうむり服やバッグまでべとべとに汚れてしまった。皆でティッシュを出し合い服を拭うのを手伝っていても一言もお詫びの言葉を口にしなかった。これも国民性なのか?

広大な砂漠、スカイブルーのアヤズクル湖、真っ青な空の下にキラキラと輝く雪の天山山脈(?)を見下ろしながら1時間余りでブハラ空港に到着。空港を出ると初めて見るような真っ青な青空だった。アラブ系の民族音楽が流れ、行きかう人々の民族衣装が私の胸を高鳴らせてくれる。

最初の観光地カラーンモスクに向かう途中、アラブっぽい街の様子で早くもこの国に魅了されてしまった。
舗装された広い道路の両側に並ぶ煉瓦造りの家並み、建物の綺麗さと街路樹の幼さで新しく開けた街だと思われる。バス停らしき場所には沢山の荷物を持った人たちがいる。迎えに来たらしい車は殆どが年代物の大型乗用車だった。

やがて前方に丸いドームを乗せた土色の建物が見え始めるとカラーンミナレットの高い塔の先端と青いドーム屋根が見た。バスは狭いバザールの入り口に駐車し、ここからバザールの中を歩いてホテルに向かう。
今日はチェックインの後、ほとんど徒歩での観光となる。

バザールで出会った白衣の老人。c0045015_141299.jpg挨拶して撮影をお願いすると気軽に応じてくれて、握手して別れた。“ダッカ・ラフマット”

宿<シャフリスタン・ボヤージホテル>はブハラ歴史地区(1993年世界遺産登録)のど真ん中にあった。
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部屋の窓を開けると目の前に大きなドームの土饅頭がどんと座っていたのには驚いた。部屋のシャワーとトイレの水の出はまずまずだったが、デジカメの充電器を差し込んでみると通電しない。フロントのおちゃんに言って其処の差し込みで充電をお願いする。夕食の後、いざ就寝と思うとベッドメイキングが出来ていない、しまったチェックを忘れた。だが普通ベッドメイキングなんてチェックしないよ。またまたおじちゃんを呼んで注意すると有ろうことか自分の部屋のベッドから使っていたシーツを剥がして持ってきた。おまけに寒くて眠れなかった。そんなこんなで立地条件以外最悪のホテルだった。

陶器で有名な街なので広場には陶器のモニュメント。さらには物凄い年代物のジープも発見。

カラーン・ミナレットとモスク(約900年前に建造された)
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高く天に向かって聳え立つ高さ46メートルの煉瓦とタイルのモスク。
スカイブルーの丸屋根、巨大な建造物全体がブルーを基調にしたタイルで様々な模様に装飾されているモスクの入口。息をのむ美しさと言わざるを得ない。死ぬまでに絶対に訪れたいと思い続けてきた情景を目の前にして興奮状態の自分がいる。そして、この旅行中ず~とこの状態が続いたのだから恐るべしウズベキスタンである。

ツアーの参加者は世界中を制覇した旅の熟練者ばかりだったが皆必死で写真を撮っている。
自分はビデオ撮影と写真、両方可能なデジカメだったので余すところなく感動を録画できたが写真ではこの感動をすべて収めることは不可能に思われた。失敗はビデオばかり撮ったのでブログに使える写真が誠に少ない事だ。
12歳くらいの少年が“カード、カード”といって絵葉書を見せに近寄って来たがノンと言うとすっと離れていった。一瞬買おうかな~との思いがよぎったが少年はそれ以上近寄って来なかった。露店のおばさんも奨めはするがしつこくない。それに比べて、遺跡を借りて店を出している人たちはそれなりにしつこいし交渉上手だった。安くしてと言うと幾らなら買うかと聞いてくる、帰り道に寄るからと言って店を出ると店の前で待っていてマダムと話しかけてきた。また完璧な日本語で“何処から来たの、寄って行って”と声を掛けて来るので日本語が解るのかと訪ねると無言でにこにこ笑っていたりと様々だった。

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丸屋根の煉瓦の遺跡に開かれている市場<タキザルガロン>はホテルのすぐ前。
此処の名産はコウノトリの形をした銀製の鋏、有名な職人のお店に立ち寄ったが見てるだけ、行く前から絶対に買って来ようと決めていた民芸品の手刺繍布<キリム>のお店でテーブルセンターをゲット、すぐ前の香辛料のお店で<クミンとアニス>を購入。民族楽器のお店で楽器を弾きながらお店番していたお兄さんにちょっとだけ弾かせてもらう。タッカ・ラフマット(^_^)/~

買ってきたクミンは度々出番があるものの、アニスは通常お菓子に使う香辛料。国内ではなかなか手に入らないので買って来たが、いまだに出番がない。

砂の中から掘り出されたブハラ最古のモスク<マゴキ・アッタリ・モスク>
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30段くらい階段を降りたところにモスクが立っている。入口の前に普通のおばちゃんが立っていて模造紙に簡単に印刷された入場券を売っている。小さな入口から中に入ると中は年代物のジュータンの展示場となっていた。しかし余りに年代物過ぎて理屈では理解できるが興味は湧かず早々に外へ。

中央アジアで最古のイスラム建築<イスマイル・サマニ廟>
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中央アジアで最初の素焼き煉瓦で建てられたというこの古代王の墓は中央アジアの3大聖地だとか。
内部は色々の模様に組み合わされた煉瓦で装飾されており感動したがドーム型の天井を見上げての説明にみんなの口は必然的に半開き、時折、煉瓦の隙間を移動する鳩たちの羽ばたきで生じる誇りは差し込む光にまさにダイアモンドダストの様、これには参った。
この廟の周りを願い事をしながら3回まわると願いが叶うと聞かされ。参加者全員黙々と廟を3周して微妙な微笑み。

木造のボロハウズ・モスク
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サマニ廟からモスクに向かう途中、伝統工芸の彫金工房を見る。絵皿や壺に緻密に掘り込まれる模様は繊細で美しく、同じ作品を一度彫、2度彫、3度彫と彫を重ねるごとにその輝きを増し、お値段もぽんぽんと跳ね上がっていくみたいで3度彫を見ると安い物は買う気が失せた。物凄く欲しかったがこれまでにもいろいろな場所で衝動的に買って来てお蔵入りしている数々のお土産が脳裏に浮かび手を出せなかった。

このモスクはアルク城に住む歴代王専用のモスク。クルミで作られた細長い柱には彫刻が施され天井部には彩色された蜂の巣型の装飾がある。前面に作られた池と相まって往時の煌びやかさが偲ばれる。
モスクの中には私たちのツアーだけマリカがお願いして特別に健康と幸せ祈願のコーランを唱えてもらえました。それにしても王様のモスクにしては内部が意外に質素。

ウズベキスタン最初の昼食タイム
割と有名なお店らしくキリムやスザニ刺繍の布で飾られた店内、中庭の机で老人がオスロに興じていた。
レストランはきれいなお姉さんのバイオリン生演奏が付いていたがツアーのみんなは食事の品定め談義で誰も聞いていない様子だった。
沢山のお皿が出されるがその大部分が生野菜の和え物か漬物メーンはシャリクと呼ばれる香辛料漬けの肉の串焼き、油ギトギトのプロフと呼ばれる羊肉入りのピラフ、それに大きくて硬めのナンとお茶。ナンは男性が力いっぱい引き千切ってみんなに配分。特にお茶は食事の脂っこさを和らげたり、メロンやスイカの後では必ず飲む下痢防止用に欠かせない物のようでした。それにしてもスイカやメロンの後に水を飲むと下痢になり、暖かいお茶を飲む大丈夫と本気で考えているこの国の人達って?

ブハラの歴代王様が住んでいたアルク城

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道路側からみると巨大な砂の城郭、所々に徳利状の突出部分が有り面白い形をしている。
坂道を上って場内に入るのだが途中には格子の中に囚人の人形を置いてリアル感を出した牢獄が有ったり、土産物屋のおばちゃんの呼び声が有ったりと結構面白い。
坂を上りきると広場になっていて其処から街が一望できた。広場の壁にキリム刺繍布を沢山広げて売っていたり、セットになった観光本を売りに近づいて来る男性が居たりと多少観光地らしくあり。

ナディール・ディバンベギ・メドレセ
聳え立つ門にはイスラム教では偶像崇拝を禁じられていたはずなのに、何と鹿を掴んで飛ぶ鳳凰が描かれている。何でも最初はキャラバンサライとして建設を始めたものがいつの間にかメドレセ(神学校)なっていた建物だとか。中庭にはぐるりと木が植えられなかなか感じが良い。

この日の夕食はこのディバンベギ・メドレセの中庭に有るレストランで民族舞踊ショーを見ながら優雅に頂いた。民族楽器が奏でる旋律に合わせ華麗な民族衣装で舞うスタイル抜群の踊り子を見ているとさながらアラブの王様になった気分で楽しく過ごせた。でも~此処の食事の不味さと言ったらツアー最悪だったよ!

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踊りの合間には民族衣装のファッションショーがあった。モデルも踊り子もすごい美人ばかり女性からっ見ても魅力的。衣装は変わるが音楽も同じ(?)単調なリズムと踊りに飽きて周りの土産物屋を物色する。相当古い足踏みミシンでキリム刺繍のバッグを作って売っているおばちゃんがいた。刺繍は素晴らしいが縫製の方は何ともお粗末。それでも値段交渉して15$で娘への土産用に購入。娘は喜んで毎日使って呉れている。ヨーロッパに行っていた頃、奮発して買って来た皮のバッグは一度も持っていたのを見た事がなく、二度とお土産にバッグは買うものかと思っていたが今回は気に入ってくれたようで楽しくなる。

食事前の少しの時間にバザールへ買い物に出かけ、遊び心で勝ったウズベクスリッパ。足を覆う部分に羊の毛が縫い込まれていてとても暖かい。毎日履いて2か月で分解してしまったが足元を見る度に旅を思い出させる良い買い物だった。

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このお店で店番の小さな女の子が値段交渉から一切を英語で対応したのには驚いた。

現地通訳のマルカの話ではこの国の識字率は100%、貧富の差も余り無いそうで地方の町を通過中でもそれは実感できた。
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by Maky63 | 2012-01-12 14:11 | 海外旅行