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3日目 快晴 気温24/10
早朝、バザールとカラーンモスクをぶらぶらと歩いてみる。朝日に輝く煉瓦の遺跡は黄金色に輝きハッとする美しさだ。バザールの従業員か清掃の人達か足早に通り過ぎていく。挨拶しても微笑み返してくるだけ。カラーンモスクとミナレットを裏側から眺める。 ホテルの前からの眺め 今日の移動は500キロを超えるだろう。農業地帯と砂漠地帯を300キロ走ってシャフリサーブスへ。 現在は舗装されているが古代にはシルクロードのメインストリートだった道。舗装道路と言っても簡易舗装だ、幅広でまっすぐに伸びた道をバスはガタガタと震えながら猛烈なスピードでかっ飛ばして行く。、砂漠と言ってもこの辺り地下水が豊富らしく低い灌木が生えていたり全くの砂地ばかりではない。 天然ガスの豊富なブハラから中央アジア各国へ送られるガスのパイプが道路わきに延々と繋がっていたり、中央アジア各国へと通じる鉄道の線路も有っったり、刈り取った乾草の饅頭が沢山転がっていたり牛が放牧されていたりと周りの景色は様々で退屈することはない。 畑の広がる辺りではラクダがのんびりと歩いていたり、防風と実益を兼ねて桑の木が沢山植えられている。 お店で売る術を持たない人々は収穫した農作物は道端に並べて売るしかない。真っ赤なトマト、ざくろ、メロン、スイカ 色んな農作物が整然と並べられて道端で売られていた。 毎日ミネラルウォーターをツアーから支給されるとはいえ長い移動でお腹もすく、初めてバスがトイレ休憩に止まった時、其処にあったのはまずまず綺麗な有料のトイレが1棟だけ。次に休憩するときはアイスクリームでも買いたいね~と思っていた甘い自分が恥ずかしくなるくらいこの国は素朴で面白い。 次にバスが止まったのは長く続く道路の真ん中だ。ここでトイレ休憩だという。両脇は灌木の生えた砂漠、そうだ青空トイレをここで体験するのだ。男性と女性は道路の左右に分かれて用足しとなった。添乗員がビニール袋を持って用が済んだ後のティッシュは砂漠に捨てずに持ち帰ってこの中に入れてくださいと言う。砂漠を汚しちゃあいけないのだ。クスクスと笑いながら興味津々でみんなは灌木の茂みへと分け入る。まばらな灌木の足元には小型動物の巣穴なのか無数のテニスボール大の穴が開いている。じっくりと灌木を観察すると何と花が咲いていた。 今日は一般の民家での昼食タイムとなる。 国道脇の民家の入り口を入ると中庭が有り浴室兼トイレがあった。これがまた相当に汚い。 中庭には畳3畳くらいのアラブ式縁台が置かれている。室内はツアー客をもてなす位だからそれなりにきれいに飾り付けがしてあるも薄暗い。多少の汚れはこれで隠せるかも。 メーンの食事は肉じゃが、日本と違うところはひき肉団子が入っていた。冷え切って歯も立たないようなサモサとスープ、お決まりのナンと生野菜の和え物それに丸ごと果物等々。 狭い畑は個人の所有だが、見渡す限り続く綿花畑は国有だそうで綿花の収穫期には国政として1か月に渡る学生の就農労役が今でも続いているとか。 出発から3時間半を要してティムールの生まれた町シャフリサブスに到着 ティムールが夏の宮殿として贅を尽くして建てたアク・サライ宮殿は抗争で壊され今はゲートの左右の門柱だけが寂しく空に向って建っていた。広い公園の中央に建つティムールの像は壊れた門柱を背にさみしそうに見える。 今日は土曜日、公園のあちこちで結婚式が行われている。お金持ちはレストランなどで行うが一般の人たちはこうした公園で結婚式を挙げるのだそうだ。日本のカップルは同じ顔立ちをしているが、多民族国家らしくカップルの顔立ちが著しく異なるのが面白い。チロイリ~チュダ・チロイリ(綺麗よ~とっても綺麗よ~)を連発して写真を撮らせてもらう。 ウズベキスタン式のお辞儀をする花嫁 ドルッティロヴァット建築群 此処の長い柱はすずかけの木で出来ているとか。 中庭でさわさわと緑の葉を揺らせていたのはウズベキスタンで一番古いポプラの木。 煉瓦の崩壊が痛々しかったティムール息子が眠るジャハンギール廟 内部は見れなかったがブルーのドーム屋根が重なり、ひときわ目を引くコク・グンバス・モスク 少々疲れ気味の体に長時間のバスは心地よい。 道路を横断する牛の群れ、砂丘にポツンポツンと建つ砂のマッチ箱のような民家。時折現れる畑作地帯。 州都の入り口に立つ検問所は非常にのんびりとして警官は退屈そうだった。さすがにアフガニスタンへ通じる分かれ道に建つ検問所は警備が厳しく、停まれの指示を無視して発車した乗用車のサイドミラーを警官が群靴でけり壊す光景を目の当たりにした。 やがて砂丘の上に建つサマルカンドのモニュメントが見えた。この辺り新しい国道が整備されたため、あちこちで建築ラッシュが起きている様子。砂漠の中の住宅分譲地のようになっている場所が幾つもあった。それに合わせてイスラム式集合墓地も整備されていた。 サマルカンドで最初に訪れたグル・アミール廟 ティムールいと一族のお墓があるこの廟の内部は眩いばかりの金箔で装飾されティムール帝国の栄華を実感させる。 この廟も良く手入れされた美しい公園に囲まれ、掃除している人たちの姿が有った。 ここで大発見2人の子供が大きな布を2つに畳み中に何か入れて運んでいる様子、覗いてみると刈り取った芝生を運んでいた。なるほど、軽い布なら子供でも沢山のごみを運ぶ事が出来る。素晴らしい知恵だと思った 。 今夜のホテルはプレジデントパレスは年代を重ねた立派なすずかけの木を街路樹にした街の一角にあった。 1万円のグレードアップしたホテルだけあって外観も内装も立派なホテル。夕食も朝食もバイキング方式で料理の内容も豊富で美味しかった。 夕食後、オプションでレギスタン広場のライトアップショーに出かけた。物語に沿ってコの字型に建てられたメドレセがライトアップされるのだが日本語で語られる物語も、ライトアップも迫力に欠け、物足りなく3,000円也の料金が物凄く無駄に感じた。 4日目 晴れ 気温22/11 早朝の散歩は、すずかけ並木が気持ちよくティムールの像が建つ所からは昨日見たグル・アミール廟のドームが見渡せた。 早朝のレギスタン広場 華麗な美しさと規模の大きさでウズベキスタン一の観光スポットは昨夜のライトアップの物足りなさを十分に挽回してくれた。 3つの神学校の巨大な門がコの字型に聳え立つさまに圧倒される。ゲートを入ると其処にも美しいブルーのタイルが広がっている。木が植えられた中庭を取り囲むように学生の部屋が並んでいるが一階の部屋はお土産屋になっていた。青いドームの中はここも金箔で飾られ息をのむ美しさだ。天井も眩いばかりだったが実は平面に遠近法を駆使して描かれた絵だと言う説明に改めて感動した。 さて、いよいよサマルカンド青の真骨頂シャーイジンダ廟 ゲートを潜り少し歩くと目の前に石の階段がドーンと待っていた。この階段、幸せへの階段と言われていて登る時と降りる時同じ数だったら幸せになれるのだそう。国籍は違ってもみんな真剣に数を数えながら登っている。そりゃあそうだわ、数を間違えると縁起でも無いから迷信と思いながらも真剣に数えてしまった。 坂道に沿って細い路地の両側に並ぶ廟は20近く、廟の壁は見上げるように高く様々な青いタイルで装飾されている。サマルカンドブルーここに極めたりって感じ。自分的にここが一番感動した。 ウルグベグ天文台 天文台への坂道で子供が乗ったロバの荷車に出会った。ハーイ!と声を掛けると手を挙げて答えてくれた。旅の途中ではこうした人懐っこさがすごく嬉しい。 サマルカンドからタシケントまで300キロ。緑豊かな川沿いの道、右手には岩山が続き岩の面に白く文字が書かれている。あんな所にどうやってと思える危険な場所にまでびっしりと、おそらく血気盛んな若者たちの楽しみだったのだろう。ソビエト時代の生活は貧しく、子供たちは砂の山にたくさんの洞窟を掘って遊んでいたとマリカに聞いた。大理石の産出量も多いそうで砂の山には白い大理石で文字が刻まれていた。 クケルダシュ神学校 ソビエト時代は倉庫になっていたという神学校は街中の小高い場所にありました。目の前は大きな交差点、通りに沿っていろいろなお店が並び、歩道帯では道路に布を広げて山から採ってきたクルミを売っているおばさんが居たり、若者は最新流行のファッションで歩いていたり、そのギャップが面白かった。 ナボイ オペラ劇場 大きな木々に囲まれた広い公園、大きな噴水の向こうに優しい色合いのナボイ劇場が見えた。噴水の前で結婚式をしているのが見える。日本人が建設に参加し、日本の建築技術の高さを認識させた有名な建物だ。正面左手の壁に は日本語でその事が刻まれている。 時間がなく中に入る事が出来ず残念だった。 日本人墓地 第2次世界大戦の後ソビエトの捕虜となり、この地に抑留され亡くなった人達のお墓が並んでいる。墓名碑には75名の出身県と名前が刻まれていた。何処かの戦地で死んだ父を持つ自分は無意識に有る筈の無い父の名を探していた。 桜の木に囲まれた墓地には長年にわたり管理をして呉れている男性の姿があった。墓地の砂に真新しい箒目が付けられていたのを見てその男性の暖かさを感じ感謝の念を持って握手して別れた。 4泊5日の駆け足旅行、思い返してみても何処で何を見たかも定かでない。とにかく忙しい、写真を撮っていると説明が聞けない、説明を聞いていると堪えず一行の最尾をダッシュして追いかけている添乗員泣かせの自分だった。願わくは夕焼けや朝もやのこの国の風を心で感じてみたい。
by Maky63
| 2012-01-12 15:25
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